2000年4/29-5/5タイ・バンコク旅行記 その7
今年のGWのバンコク旅行、第7回目までなんとか来ました。今回も長文注意モードです。
この日はアユタヤツアーに参加しました。日本で言えば、京都ではなくて奈良に当たるのがアユタヤではないか、と思ってます。
6/3 アユタヤツアー、長政弁当って何?
1) しゅっぱ〜つ!
午前7時、ちょっと早めに起きてホテルで朝食をしっかり取った二人がロビーで待っている。するとパンダバスのバスがホテルの前に止まった。で、バスから人がおりてロビーに入ってくるんだけど、何も言わない、何も見せない(Monarch
Lee Gardenでは"パンダバス"のプラカードを出したんだけど。
仕方ないので自分たちからバスに向かう。このバス、直接ツアーに出るのではなく、まず「バスの」集合場所に向かう。どうやら、各ツアーのバスがホテルにお客を迎えに行き、その後集合場所で目的・ツアー別に振り分けるらしい。
で、集合場所に向かうバスの中でガイド曰く「このバスはアユタヤ・復路クルーズバスです。今日はアユタヤ行きはもう1台バスが出ます。アユタヤ・復路バスの方と、これからお呼びする方はもう1台のバスに乗り換えていただきます」(実際はこんなに流暢じゃなくて、もっとたどたどしい日本語だった)。
バスを乗り換えると、ガイドはタイ人の男性。日本語はそこそこ上手(ガイドの内容はしっかりしていて「上手」だった)。各地に行くバスが集合場所から散って行く。私達の乗ったバスもアユタヤに向かって出発。
水上マーケットツアーの時とは違って、バスは北へ向かう。ドンムアン空港の横を通り、それでも北へ向かう(当たり前!)。水上マーケットツアーの時は、しばらく行くと街が途切れたのに、今回は町並みはなかなか途切れず、日系企業の工場があちこちに見える。バンコクがどの方向に発展していったかが分かる。
2) バンパイン離宮
バスは走ること1時間…は経っていなかっただろう。バスが脇道に入った。まず最初の訪問地、バンパイン離宮だ。
駐車場から歩くと、入り口の目の前に土産物屋兼食堂がある。これは典型的なタイの風景。
で、まずガイドから入場券をもらいゲートを入ると、そこでタイの民族衣装を着た女の子が待っていて、ついでにカメラマンも待っている。おいおい、これでも王室の持ち物か?もっと商売気がなくて上品にやってほしいなぁ。しかもみやげ物コーナーを通らないと離宮から出入りできない(これはウィマンメーク宮殿も同じだった)。
で、入り口で一緒のツアーにいた中年女性が止められる。係員が英語で何か言っているが、分からないらしい。「ここはショートパンツでは入れないんですよ。スカートを貸してくれるので、それを身につけて下さい、って言ってますよ」と通訳する。「あら、そうなんだ、しまったしまった」と屈託のない女性。でもここは、スカートを身につけて入るだけの価値はあった。
一歩中にはいると、入り口前の土産物屋兼食堂も、入り口のカメラ攻撃も、別世界の出来事かと思った。よく手入れされた庭園にヨーロッパ風の建物。この暑さと湿気がなかったら、どこにいるのか分からなくなるぐらいだ。
中には池があり、その両側に歩道がある。ちょっと歩くと池のそばに小さな祠があり、仏像が飾ってある。もうちょっと歩くと、池の中にタイ風の建物がありその向こうにはヨーロッパ風の豪華な建物がいくつかある。妻が「住むならこんな家がいいな。きっと買ってね」とのたまう。あ〜はいはい。宝くじの一等が2回当たったらね。
洋風の庭園と建物が続く中で、中華風の建物が1つ。ガイドの説明によると、中国の使節がタイを訪れるときに、宿泊した建物らしい。元はこの場所にはなく、使節が来るたびに組み立て、帰るとばらしていたらしいが、ここに復元したとのこと。靴を脱いで中に入り、中国風の建物を満喫できる。まるでラストエンペラーの世界…。
この離宮は17世紀に作られ、その後、19世紀に現在のような形になったらしい。ロシアのニコライ二世もきたことがあるらしい(北国暮らしの人に、タイの暑さは耐えられない物だっただろう。エアコンもなかったし)。
この離宮を見ていると、19世紀のタイの苦悩が何となく分かる気がする。西(ビルマ)と南(マラヤ)にイギリス、東(ラオス・カンボジア)にフランスという二大強国に挟まれ領土を少しずつ浸食され、それでも西洋の文明文化を少しずつ取り入れながら独立を保とうと努力した姿が、この離宮から見えてくるような気がした。それに中国の使節が宿泊した建物だって、西洋諸国の浸食の前は、強大な軍事力、経済力、文化力を誇る中国に対し、どれだけの恐れと敬意を持っていたかが伺える。
結局、「英仏の緩衝国」という立場で独立を維持していたが、両大国の間でバランスをとり続けるというのはタイにとって、タイ王家と政府にとって、どれだけの努力を要したのだろうか。この場所は単純な観光地ではないなあ、タイの努力の跡が見られる所だと感じた。
3) ワット・ヤイチャイモンコーン
バン・パイン離宮から、再びバスに乗り込む。道路の左右にはタイの田舎らしい、のどかな農村風景が続いている。さすがにこの暑さじゃ、みんな勤勉に働こうとは思わないのか、みんな日陰に入っている。
途中、日本人街跡横を素通りする。ポールの上に日の丸がはためいていた。ここに数百年前には山田長政をはじめ、多くの日本人が住んでいたらしい。
バスの窓から左右に寺院が現れては消えてゆく。ある寺は新しく、ある寺は時代を背負い…。右手に大きな寺が見えてきたと思ったら、バスが右折して駐車場に入った。これがワット・ヤイチャイモンコーンだった。中にはいるとちょっと壊れかけた本堂に、スリランカ風の仏塔、それに多くの仏像が我々を迎えてくれた。
とても大きな仏塔に妻を登らせ、写真を撮る。まるで豆粒以下にしか写ってなかったが。その周りで仏像が静かに観光客を見守っているようだ。多数の座仏像があるので有名なこの寺だが、実は寝仏像でも有名だったりする。昔は建物の中で寝ていたのだろうが、その建屋が無くなり、今は青空の下に大きな仏様が黄色の僧衣を身にまといながら寝そべっている。
この寺はまだ「生きている」寺で、入り口横には僧坊が何軒か並んでいる。この後訪れるお寺は全て(と言っても2つだが)寺院跡であり、ビルマ軍に破壊された「遺跡」だったが、この時点では私はそのことを理解していない。これからも続くであろうお寺攻撃と暑さにちょっと参り気味だった。
4) ワット・プラ・マハタート
バスは川にかかる橋を越えアユタヤ市内に入る。アユタヤ市内はやっぱりちょっと整ったような感じ。心なしか道路脇の木々も手入れが行き届いているように見える。
市内にはいるとすぐに次の目的地、ワット・プラ・マハタートに着いた。境内は破壊され、廃墟に近い状況になっている。仏像は首を落とされ、仏塔を除けば本堂も僧坊も全て廃墟になっている。仏塔も破壊の対象になったのか、装飾がはげ落ち、中のレンガが見えている。
この寺院出有名なのは、切り落とされた仏像の頭が木の根に取り込まれてしまったもの。写真では見たことがあったが、実物を見るのはもちろん初めて。一度地中に埋まった仏頭が木に挟まれて再び地上に現れてきたのは偶然とは言え、何か神秘的な感じがする。
なお、この寺院の仏塔はカンボジア風のデザインである(アンコールワットに近い形)。この隣にあるワット・ラーチャブラナはあまり破壊が進んでおらず、カンボジア風の仏塔がよく見える。写真を見ると、緑の中から仏塔が見えており、ちょっとアンコールワットに似ている。このワット・プラマハタートでは、高所恐怖症気味の妻を塔の上まで登らせて一緒に写真を撮った。
5) ちょっと休憩?象には乗らない
さて、次の訪問地はワット・プラ・シー・サンペット。でもバスに乗るとガイドが「次は象に乗ります」という。よく聞くと別に乗らなくてもいいらしい。すぐにバスの正面から道路を、のっしのっしと象が歩いてくる。ツアーの参加者には話の種に象に乗った人もいたらしいが、大半はトイレ休憩だけで、涼しいバスに残っていた。
6) ワット・プラ・シー・サンペット
これが最後の訪問地だった。ワット・プラ・シー・サンペット。ここは元は王家直轄の寺院だっただけあって、かなり大きな敷地だった。隣には王宮跡があるが、ビルマ軍に破壊され、残っている建物はほとんどない。う〜む。
境内には3つの大きな仏塔がある。3つともスリランカ風のデザインなのだが、よく見ると1つだけ微妙にデザインが違う。ガイドの説明によると、「他の2つとは立てられた時代が違う(新しい)」のだそうだ。
ここも見事な破壊の跡を見ることになる。仏塔が所々黒ずんでいるのは火を放たれた跡、レンガ積みが崩れている建物跡、破壊されている仏像とか…。「隣国との戦闘」で破壊された、というのが日本人であるせいか、私には感覚的に分かりづらい。もちろん歴史をたどれば、知識としては理解できるのだが…。
バス乗り場にはちょっとした市場があり、土産物や飲み物などを売っている。妻がバナナチップスを買い、私はダイエットコークを買う。あっつ〜い!
7) さあ、バンコクへ帰ろう!長政弁当食べながら…
ワット・プラ・シー・サンペットを出ると次はクルーズ乗り場に向かうとのこと。バスで帰る私達にはあまり関係ないが…。
アユタヤ市内にも船着き場があるが、バスは郊外の船着き場へ向かう。午後の一番太陽が高い時間、田舎道をバスが走る。遠くに寺院の廃墟が点在し、生きている寺院も点在する。アユタヤは日本で言うと京都か奈良のようだ。いや、雰囲気からすると奈良に近いかな?
道路のそばには時折集落が現れ、後ろに去ってゆく。時々バス乗り場もあるのだが、なんにせよ住民はみんな建物の下、日陰でだら〜っとしている。これだけ暑けりゃ動きたくないだろうなぁ。
30分ぐらいバスが走ると、川沿いの船着き場に到着。ほとんどのツアー客がここで降り、船に乗り換える。昼食は「インターナショナル・バフエット」だと。
バスに残ったのは6人だけ。バスの中で弁当が配られる。ほ〜、これが長政弁当ね。二段組の弁当箱を開ける。あまり物珍しい物はない。しかしなんでキムチが入ってるんだ?アユタヤ王朝時代にはタイにはキムチがあったのだろうか?ま、こんなもんか。
8) バンコク〜宝石店へ
バスが1時間ほど走ると遠くの空で稲妻が光り出した。またスコールかなぁ?今日はホテルのプールで泳ぎたいのに…。時々ぴかっ!と光る空を見ながら、高層ビルが建ち並ぶバンコクが近づいてくるのを見ていた。
高速道路を降りたのがラーマ6世通り。すぐに宝石店に入る。中では宝石の研磨行程を見た後、宝石売場へ。宝石買うようなお金があったらUAのエコノミーでタイになんか来ないよ。ということで、ぐるっと一回りしてさっさと売場から逃げ出す。一緒にバスで戻ってきたツアー客も、最後に宝石店に連れてこられたので、ちょっと渋い顔。その後、宝石店の無料シャトルでホテルに戻る。
9) ホテルのプール!
ホテルに戻るとすぐにプールに向かう。スコールが振る前に少しでも楽しんでおこう。インターコンチのプールは広々として、場所によってはかなり深い。雷がゴロゴロ鳴る音はするが、幸いにして雨は降らず、太陽も時折隠れるだけ。ここぞとばかりにプールではしゃぐ妻と私。ついでにしっかりと日焼けをした。途中ビールでも飲むか、と思いプールサイドのバーに向かうが、シンハビールがTHB180もして飲む気にならない。100m先のコンビニならTHB28だ。身体を焼きながら、暑くなったらプールに入る、というパターンを繰り返して、1時間半ほどプールサイドで過ごした。の〜んびりとしたLate
Afternoonだった。
夕食は、カントンでタイスキ。コカレストランと違い、お客はタイ人がほとんど。日本語どころか、英語だって通じにくい(メニューには英語、日本語ともに記載あり)。
頼んだのは…牡蛎、エビ団子、空心菜、白菜、豚肉、豆腐、レバー、牛肉、鶏レバー、グリーンヌードル、それにシンハビールの大瓶2本、しめてTHB500。味付けもタレもなかなかよい味で、これでTHB500はコストパフォーマンスがよい。
店員はほとんど日本語を話さないが、店内は地元客で大にぎわい。店員が日本語を話すコカレストランは便利かもしれないが、カントンの方が雰囲気が好きだ。
満腹のお腹を抱えてホテルに戻る。夜中にすごい雷とスコールで目が覚めた。今年は雨期が早いのかな?
長文になってしまいましたが、アユタヤツアー完です。この次の日は…腹痛に苦しんでました。それでも夕食はタイ料理を食べに行ったのですが(^^;;;)。
続く