8/15 帰らなきゃ…
1. 起床
朝6時にモーニングコールが鳴り、目が覚める。ああ、早く起きなきゃ。今日は日本に帰るんだ。洗面所で過ごすこと約10分(たぶん)。昨日の夜、友人が帰った後にまとめておいた荷物を持ち、エレベーターでロビーに下りていった。カウンターの向こうには男の人が2人。ナイトシフトだろう。"Check
Out"と言い、鍵を差し出した。カウンターの向こうでは係りの人がコンピューターをいじり始めた。カウンターの上には英語と中国語で「今晩、空き部屋はありません」と書かれた紙が立ててあった。
すぐに明細書が出された。1泊NT$1,650、3泊でNT$4,950。クレジットカードで支払った。新しくはないが、私にとっては快適な宿だった。
2. 中正機場へ
ホテルを出ると、空港行きのリムジンバス乗り場に向かう。朝早いが蒸し暑い。バス乗り場に着くと、先客が数名。若い台湾人の女の子達。彼女らの横をすり抜け、カウンターでチケットを買う。NT$110。次のバスはAM6:40頃とのこと。列に10分ほど並んでいると、ゲートが開き、バスへの搭乗が始まった。あまり関係ないが、このリムジンバス乗り場では、何故かバスの搭乗口が反対側になっている。
バスに乗ると、一番前の席を陣取った。10分ぐらいしてバスが動き出す。朝早いせいか、乗客はあまり多くなかった。道はあまり混んでない。歩き方には「6−7時のラッシュアワーにご注意」と書いてあったが、ぜーんぜん混んでない。たまたま今日は道が空いてるのだろうか。それともいつもそうだろうか?(台湾では8月15日は特別な日ではない。光復節は10月26日である)。まあ、早く着く分には問題ないからいいか。バスは台北から忠孝大橋を通り、三重に入る。台北に比べると、より庶民的な街に見える。あくまでバスの窓から覗いた印象だが。今度、友人に案内してもらおう。
三重市内では軽い渋滞に巻き込まれたが、バス乗り場に寄り道した後すぐに高速道路に入った。順調順調。この分だとかなり早く空港に着くな。
3. 中正機場
予想通り、バスはかなり早めに空港に着いた。NWのカウンターに向かうと、まだチェックインを開始してない。カウンターの中では係員が準備をしている。今回はCをアワードで予約しているので、ビジネスクラスの窓口の前でしばし待つ。ふと顔を上げると張り紙が目に付いた。ボランティアの募集の張り紙だ。次の(利用可能な)便に振り替えるならば、US$200のチェックか、US$400のバウチャー。ううっ魅力的だが、今日は実家まで帰らなければならない。我慢我慢。AM7:30に搭乗手続き開始。早速手続きをする。席は17D(後で分かったが、喫煙席の一つ前の席だった。おかげでフライトの間中、煙に悩まされた)。
分かっていたけど、係員に英語で尋ねる。「何でボランティアの募集してるの?」「ちょっと予約人数が多くて…」予想通りの答えが返ってきた。さよか。ついでにチケットとラウンジの入場券も帰ってきた。
出国審査への階段の途中にあるラウンジに向かう。NW/KLMのラウンジは実は階段の一番近くにあるのだが、表示がなかったので一番奥まで行って引き返してきた。ラウンジには女性係員一人しかいない。彼女にチケットを渡すと、中国語で話しかけられた。何を言われたか分からない。すぐに彼女は英語に切り替えた。「あなたのこと、中国人と思ったのよ」やれやれ。大学にいる頃からそうだったが、私はよく中国系(大陸以外の)に間違えられる。
まだ朝御飯を食べてなかったので、サンドイッチとコーヒーを食べる。ショーケースの中には缶入り飲料もある。おっ、黄色いラベルのウーロン茶もある。これ貰っていこう。コーヒーの後、このウーロン茶(甘い)を1本開け、もう一本を鞄の中に入れた(^^;)。徐々にラウンジも人が増えてきた。アメリカ人が多い。朝からビールを飲んでる人もいる。私にはできない芸当だ(でも機内ではしっかりシャンパンを飲んだが)。
ちょっと早めのAM8:30にラウンジを出る。係員の女性に挨拶をして出国審査の方に向かう。ちょっと新東陽をのぞき込んだが、すぐに出国税(空港使用税)のカウンターに向かう。NT$300。なんか高いなーと思ってしまう。でも考えてみれば成田の方が高い。出国審査は難なく通過。今まではEGを利用していたが、今回はNWなので反対の方向に向かう。歩くこと約10分、途中でハイジャック防止用のゲートをくぐり、やっと目的地に着いた。免税店だ。
父親から頼まれていたウイスキーとバーボンを買う。レジでは店員が「クレジットカード?日本円?」と聞く。「台湾元」といい、余ったNT$で支払う。それでもまだNT$1,600ほど余ったのだが…。これ以上何か買ってももう重いだけだ。さっさと搭乗ゲートに行って一休みしよう。
4. NW0012、Cクラスの旅
待つこと約1時間、AM9:30に搭乗が始まる。昨日の日付の日本の新聞を取り、さっさと席に着く。横をYの乗客が次々通り過ぎていく。乗客が一段落したところでシャンパンをもらった。周りは中年のアメリカ人ばかり。隣は若い女性だったがこの人、ずーっと寝ていて一言も話すチャンスがなかった(食事もしなかった)。残念。おまけにたばこの煙…。チェックインの時、「なるべく喫煙席から遠く」と行っておくべきだった。
台湾人のスッチーが「アメリカまでですか?それとも日本まで」と訪ね、書類を配っている。私の顔を見ると、北京語で訪ねてきた(まただ)。北京語で「我去日本、但是我是日本人」と言うと、「あら、北京語ができるの?」と、うれしそうな顔で言う。
ドアが閉まり、機体が動き出す。前のスクリーンでは救命胴衣などの説明のビデオが流れる。このビデオ、英語と日本語では解説の丁寧さが違う。まるで、「英語の分からない日本人は逃げ遅れるか、救命胴衣をつけ損なってくたばって下さい」と言わんばかりのいい加減な日本語の説明。まだ北京語の方が丁寧な説明のような気がする(そこまで北京語が分かるわけではないので、あくまで「気がする」程度)。思い出してみると、私の所には日本語のできる乗務員が一人も来なかった。機内のアナウンスは英語、北京語、台湾語、最後に日本語の順である。せめて日本に行く便ぐらいは、日本語を英語の次に持ってきてよ、と思う。
昼食の前に飲み物が配られる。白ワインを貰う。しまった、英語じゃなくて北京語で返事すればよかった、と思ったのも後の祭り。くだんのスッチーとのその後の会話は全て英語になってしまった。どうも英語に頼る傾向が強くなったな、と反省することしきりである。
昼食はまあまあ、今度は赤ワインを飲み、しっかりほろ酔い気分でのフライトになってしまった。アメニティーグッズもそうたいしたものではなかった。全く、NWの印象は全然よくなかった。かのスッチーを除いて。彼女にもう一度会うためなら、もう一度NWのCに乗ってもいいか、と考えている(おいおい)。どうも女性の笑顔に弱いな(^^;;;)。
旅行帰りで混みあった成田に着く。ああ、現実に引き戻される。とりあえず実家(滋賀県大津市)まで帰らなければ・・・。うんざりするほど長い入国審査の列に並び、審査のブースに近づくに連れ、少しずつ憂鬱になってきた。次の旅行のことでも考えながら年末まで過ごさなきゃ。
と言うことで、台湾旅行記、これにておしまいでございます。だらだらと長い文章を最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
以上!